お茶の伝播ルート『ティーロード』

茶は中国で『薬』として使用されてきました
『薬』としての使用 - つまり、『食』としての利用です
『食』といっても、当然ながら現代で云われる『食べるお茶』といった具合ではなく、生の葉を噛んだり、煮たり、蒸したりといったこと
因みにですが、『食べる』という『茶』は現代中国においても受け継がれており、『ラペソー』や『ミエン』という名で私たちもそのお味を試すことができます
話は戻って、『茶』を『飲む』文化が誕生したのはいつだったのでしょうか
『飲料』として親しまれるようになったのは、6世紀頃以降四川省あたりにて、と云われています
『喫茶文化』はどのような伝播ルートで世界へ広まっていたのか
これについては「ティーロード:お茶の来た道」という表現があります
前回ご紹介した世界各地での『茶』の呼称、ポルトガル人による陸路とオランダ人による海路での伝播についてお話しいたしました
今回は、『茶』伝播の世界史について綴ってまいりたいと思います

中国から近隣諸国へ  アラブ人・蒙古人の貢献

中国において喫茶文化が誕生して以降、陸路を通りラクダや馬をによって近隣諸国へ運ばれていったと云われています
中国からモンゴル、チベット高原、アフガニスタン、イラン、イラク、トルコ、ウクライナ、ロシア、モロッコ、アルジェリアへ
『茶』はいつしか草原や砂漠地帯暮らしのビタミンが不足しがちな民族にとって必需品となっていきました
その『茶』の価値は確かに評価されており、『茶馬貿易』が行われたことは世界史の授業で習われた方もいらっしゃるのではないでしょうか

ヴァスコ・ダ・ガマによるインド洋航路の発見

ヨーロッパに『茶』が伝わったのはずっと時が経って15世紀末
みなさまご存知のヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を迂回するインド洋航路を発見して以降アジアに足を運ぶことができるようになり、『茶』の交易が始まったと云われています
Vasco da Gama - Wikipediaより
1517年にポルトガル人が広東、福建、浙江の海港に入り、東西貿易が始まりました
しかしながら、態度が不遜として早々に閉め出されてしまったそうです
1557年になってポルトガル人が海賊の駆逐に貢献したということで現在のマカオへの居住を許されるようになります
そこで「ポルトガル領マカオ」が建設され、1992年に中国へ返還されるまで、実に長く貿易の拠点地となっていました
話は戻って、16世紀よりヨーロッパ諸国が続々とアジアへ入国していきます
その際に『茶』『絹』『陶磁器』と共に、海路を通ってヨーロッパ諸国へ取引されていきました
13世紀にマルコポーロが陸伝いにイタリアからペルシャ、アジア大陸を横断し中国に滞在したとありますが、『茶』についての記載が一切なかったことについて、歴史家の間では『中国へは行かなかったのではないか』という説を生んだ背景の一つでもあります
ヨーロッパにおける最初の『茶』に関する文献は1559年イタリアで出版された『公開と陸と旅』
内容についてはペルシャ商人の受け売りとされています
カテゴリー: TEA

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